※各史料の本文は『国造制の研究』参照。

 

三 東海道

 

8 伊賀国造 

 

【所在】伊賀国伊賀郡(現在の三重県伊賀市一帯)。

【氏姓】伊賀臣、阿保君(のち朝臣)などと推定されている。

【系譜】伊賀国造条には、志賀高穴穂朝御世(成務朝)に武伊賀都別命(意知別命の三世孫)を国造に任命したとあり、垂仁天皇系に分類される。序文では、伊勢国造に任命された天日鷲命を伊賀臣の祖としており、これによれば伊勢国造と同系になる。

 

(1)『古事記』垂仁段

(2)『日本書紀』孝元七年二月丁卯条 

(3)『日本書紀』宣化元年五月辛丑朔条

(4)『日本書紀』持統六年(六九二)三月壬午条

(5)『新撰姓氏録』右京皇別

(6)『新撰姓氏録』右京皇別

(7)『皇太神宮儀式帳』

(8)『倭姫命世記』御間城入彦五十瓊殖天皇六十六年十二月朔日条

 

9 伊勢国造 

 

【所在】伊勢国(現在の三重県)。

【氏姓】はじめ伊勢直を称し、のち中臣伊勢連・中臣伊勢朝臣・伊勢朝臣に改姓した。

【系譜】伊勢国造条には、橿原朝御世(神武朝)に天日鷲命(天降天牟久怒命の孫)を国造に任命したとある。序文にも同内容を載せる。天日鷲命は伊賀臣の祖ともされており、これによれば伊賀国造と同系になる。

【備考】天日鷲命と天日別命を同一とする説がある。

 

(1)『日本書紀』持統六年(六九二)三月壬午条

(2)『続日本紀』天平十九年(七四七)十月丙辰条

(3)『続日本紀』天平宝字八年(七六四)九月乙巳条

(4)『続日本紀』天平神護二年(七六六)十二月癸夘条

(5)『続日本紀』神護景雲二年(七六八)六月戊寅条

(6)『伊勢国風土記』逸文(『万葉集注釈』)

(7)『類聚三代格』弘仁五年(八一四)三月二十九日太政官符

(8)『倭姫命世記』活目入彦五十狭茅天皇十四年九月一日条

(9)『皇太神宮儀式帳』

(10)『倭姫命世記』活目入彦五十狭茅天皇二十六年十月甲子条

 

10 嶋津国造 

 

【所在】志摩国(現在の三重県志摩市・鳥羽市一帯)。

【氏姓】嶋直と推定されている。

【系譜】志賀高穴穂朝御世(成務朝)に出雲笠夜命(出雲臣の祖)を国造に任命したとあり、アメノホヒ・出雲国造系に分類される。

 

(1)『日本書紀』持統六年(六九二)三月壬午条

 

11 尾張国造 

 

【所在】尾張国(現在の愛知県西部)。

【氏姓】はじめ尾張連を称し、のち宿禰に改姓した。

【系譜】志賀高穴穂朝御世(成務朝)に小止与命(天別天火明命の十世孫)を国造に任命したとあり、アメノホアカリ・尾張国造系に分類される。

 

(1)『古事記』孝昭段

(2)『古事記』孝元段

(3)『古事記』崇神段

(4)『古事記』景行段

(5)『古事記』応神段

(6)『古事記』継体段

(7)『日本書紀』神代下 第九段本文

(8)『日本書紀』神代下 第九段一書第六

(9)『日本書紀』神代下 第九段一書第八

(10)『日本書紀』孝安天皇即位前紀

(11)『日本書紀』宣化元年五月辛丑朔条

(12)『日本書紀』天武十三年(六八四)十二月己卯条

(13)大宝二年(七〇二)「御野国加毛郡半布里戸籍」(『大日本古文書』一―五六)

(14)天平六年(七三四)「尾張国正税帳」(『大日本古文書』一―六〇七)

(15)平城宮木簡(『平城宮木簡』七―一二七四八)

(16)『続日本紀』天平十九年(七四七)三月戊寅条

(17)『新撰姓氏録』左京神別

(18)『新撰姓氏録』右京神別

(19)『新撰姓氏録』山城國神別

(20)『新撰姓氏録』大和國神別

(21)『新撰姓氏録』河内國神別

(22)『先代旧事本紀』巻三「天神本紀」

(23)『先代旧事本紀』巻五「天孫本紀」

(24)『尾張国風土記』逸文(『塵袋』)

 

12 参河国造 

 

【所在】三河国(現在の愛知県東部)。中心は碧海郡(愛知県安城市・刈谷市・高浜市・知立市・碧南市一帯)と見られる。

【氏姓】三河直と推定されている。

【系譜】志賀高穴穂朝御世(成務朝)に知波夜命(出雲色大臣命の五世孫)を国造に任命したとあり、ニギハヤヒ・物部氏系に分類される。

 

(1)『先代旧事本紀』巻五「天孫本紀」

 

13 穂国造 

 

【所在】三河国宝飫郡(現在の愛知県豊川市・蒲郡市一帯)。

【氏姓】穂別と推定される。

【系譜】泊瀬朝倉朝御世(雄略朝)に菟上足尼(生江臣の祖である葛城襲津彦命の四世孫)を国造に任命したとあり、孝元天皇・蘇我氏系に分類される。

 

(1)『古事記』開化段

(2)『先代旧事本紀』巻五「天孫本紀」

 

14 遠淡海国造 

 

【所在】遠江国(現在の静岡県西部)。中心は浜名郡・引佐郡(静岡県浜松市一帯)と見られる。

【氏姓】不明。

【系譜】志賀高穴穂朝御世(成務朝)に印岐美命(物部連の祖である伊香色雄命の子)を国造に任命したとあり、ニギハヤヒ・物部氏系に分類される。

 

(1)『古事記』神代上

(2)『先代旧事本紀』巻五「天孫本紀」 

(3)『万葉集』二十―四三二一

 

15 久努国造 

 

【所在】遠江国山名郡久努郷を中心とする地域(現在の静岡県袋井市一帯)。

【氏姓】久努直と推定される。

【系譜】筑紫香椎朝御世(仲哀朝)に印播足尼(物部連の祖である伊香色男命の孫)を国造に任命したとあり、ニギハヤヒ・物部氏系に分類される。

 

(1)『先代旧事本紀』巻五「天孫本紀」 

 

16 素賀国造 

 

【所在】遠江国佐野郡(現在の静岡県掛川市一帯)。

【氏姓】不明。

【系譜】橿原朝御世(神武朝)に美志印命を国造に任命したとある。

 

17 珠流河国造 

 

【所在】駿河国駿河郡駿河郷を中心とする地域(現在の静岡県北東部一帯)。

【氏姓】金刺舎人を称した。

【系譜】志賀高穴穂朝御世(成務朝)に片堅石命(大新川命の子)を国造に任命したとあり、ニギハヤヒ・物部氏系に分類される。

 

(1)『日本書紀』景行四十年是歳条

(2)『先代旧事本紀』巻五「天孫本紀」 

(3)『続日本紀』延暦十年(七九一)四月戊申条    

 

18 廬原国造 

 

【所在】駿河国廬原郡廬原郷を中心とする地域(現在の静岡県清水区一帯)。

【氏姓】はじめ廬原君・公を称し、のち朝臣に改姓した。

【系譜】志賀高穴穂朝御世(成務朝)に思加部彦命(池田坂井君の祖である吉備武彦命の子)を国造に任命したとあり、孝霊天皇・吉備氏系に分類される。

 

(1)『古事記』孝霊段

(2)『日本書紀』天智二年(六六三)八月甲午条

(3)『続日本後紀』承和二年(八三五)二月丁丑条

(4)『続日本後紀』承和二年(八三五)十月丁亥条

(5)『新撰姓氏録』右京皇別

 

19 伊豆国造 

 

【所在】伊豆国田方郡(伊豆半島北部一帯)。

【氏姓】はじめ日下部直を称し、のち伊豆国造伊豆直に改姓した。

【系譜】神功皇后の御世に若建命(物部連の祖である天■桙命の八世孫)を国造に任命したとあり、ニギハヤヒ・物部氏系に分類される。

 

(1)『続日本紀』天平十四年(七四二)四月甲申条 

(2)『続日本紀』宝亀二年(七七一)閏三月己酉条 

(3)平城京木簡(『平城宮発掘調査出土木簡概報』二一―一八上)

 

20 甲斐国造 

 

【所在】甲斐国(現在の山梨県)。

【氏姓】甲斐直・日下部直・日下部君などと推定されている。

【系譜】纏向日代朝御世(景行朝)に塩海足尼(狭穂彦王の三世孫である臣知津彦公の子か)を国造に任命したとあり、開化天皇・和邇氏系に分類される。

 

(1)『古事記』開化段 

(2)和銅七年(七一四)十月「調庸白絁金青袋墨書銘」(『正倉院宝物銘文集成』調庸関係銘文七三)

(3)平城宮出土木簡(『平城宮発掘調査出土木簡概報』二二─一八)

(4)『粟鹿大明神元記』

 

21 相武国造 

 

【所在】相模国大住郡・高座郡・愛甲郡(現在の神奈川県中部一帯)。

【氏姓】漆部直(のち相模宿禰)・壬生直などと推定されている。

【系譜】志賀高穴穂朝御世(成務朝)に弟武彦命(武刺国造の祖である神伊勢都日子命の三世孫)を国造に任命したとあり、アメノホヒ・无邪志国造系に分類される。

 

(1)『古事記』景行段 

(2)『続日本紀』神護景雲二年(七六八)二月戊寅条 

 

22 師長国造 

 

【所在】相模国余綾郡磯長郷を中心とする地域(現在の神奈川県中郡二宮町・大磯町一帯)。

【氏姓】丈部直・丈部造と推定されている。

【系譜】志賀高穴穂朝御世(成務朝)に宮富鷲意弥(茨城国造の祖である建許呂命の子)を国造に任命したとあり、アマツヒコネ・茨城国造系に分類される。

 

23 无邪志国造 

 

【所在】武蔵国(現在の東京都・埼玉県・神奈川県北東部)。

【氏姓】笠原直・丈部直(のち武蔵宿禰)・大部直(大伴直)などと推定されている。

【系譜】志賀高穴穂朝御世(成務朝)に兄多毛比命(出雲臣の祖である二井之宇迦諸忍之神狹命の十世孫)を国造に任命したとあり、アメノホヒ・无邪志国造系に分類される。

【備考】胸刺国造と同一(重複掲載)と見る説もある。史料は胸刺国造の後に一括掲載した。

 

24 胸刺国造 

 

【所在】武蔵国(現在の東京都・埼玉県・神奈川県北東部)。

【氏姓】不明。

【系譜】伊狭知直(岐閇国造の祖である兄多毛比命の子)を国造に任命したとあり、アマツヒコネ・茨城国造系に分類される。

【備考】无邪志国造と同一(重複掲載)と見る説もある。

 

(1)稲荷山古墳出土鉄剣銘

(2)『古事記』神代上 

(3)『日本書紀』神代上 第七段一書第三

(4)『日本書紀』安閑元年閏十二月是月条 

(5)『続日本紀』神護景雲元年(七六七)十二月壬午条

(6)『続日本紀』神護景雲元年(七六七)十二月甲申条

(7)『日本後紀』弘仁二年(八一一)九月壬辰条

(8)『高橋氏文』(『本朝月令』六月「朔日内膳司供忌火御飯事」)

(9)『類聚国史』巻十九 国造 延暦十四年(七九五)十二月戊寅条 

(10)『聖徳太子伝暦』皇極三年(六四四)十一月条

 

25 知々夫国造 

 

【所在】武蔵国秩父郡(現在の埼玉県秩父市一帯)。

【氏姓】三宅連・大伴部などと推定されている。

【系譜】瑞籠朝御世(崇神朝)に知知夫彦命(八意思金命の十世の孫)を国造に任命したとあり、タカミムスヒ・葛城国造系に分類される。

 

(1)『先代旧事本紀』巻三「天神本紀」

(2)『高橋氏文』(『本朝月令』六月「朔日内膳司供忌火御飯事」)

 

26 須恵国造 

 

【所在】上総国周淮郡(現在の千葉県君津市一帯)。

【氏姓】末使主・日下部使主などと推定されている。

【系譜】志賀高穴穂朝御世(成務朝)に大布日意弥(茨城国造の祖である建許侶命の子)を国造に任命したとあり、アマツヒコネ・茨城国造系に分類される。

 

(1)『続日本紀』神護景雲元年(七六七)八月癸巳条

(2)『続日本後紀』承和十一年(八四四)十二月丙戌条

(3)『万葉集』二十―四三四七

(4)『万葉集』二十―四三四八 

(5)宝亀八年(七七七)十月「調庸白布墨書銘」(『正倉院宝物銘文集成』調庸関係銘文三八)

(6)『新撰姓氏録』和泉国神別

 

27 馬来田国造 

 

【所在】上総国望陀郡(現在の千葉県袖ヶ浦市・木更津市一帯)。

【氏姓】湯坐連と推定されている。

【系譜】志賀高穴穂朝御世(成務朝)に深河意弥命(茨城国造の祖である建許侶命の子)を国造に任命したとあり、アマツヒコネ・茨城国造系に分類される。

 

(1)『古事記』神代上 

 

28 上海上国造 

 

【所在】上総国海上郡(現在の千葉県市原市一帯)。

【氏姓】はじめ檜前舎人直を称し、のちに上総宿禰に改姓した。

【系譜】志賀高穴穂朝御世(成務朝)に忍立化多比命(天穂日命の八世孫)を国造に任命したとあり、アメノホヒ・上海上国造系に分類される。

 

(1)『古事記』神代上 

(2)『続日本紀』神護景雲元年(七六七)九月己巳条

 

29 伊甚国造 

 

【所在】上総国夷隅郡(現在の千葉県いすみ市・勝浦市一帯)。

【氏姓】伊甚直・春日部直などと推定されている。

【系譜】志賀高穴穂朝御世(成務朝)に伊己侶止直(安房国造の祖である伊許保止命の孫)を国造に任命したとあり、アメノホヒ・阿波国造系に分類される。

 

(1)『古事記』神代上 

(2)『日本書紀』安閑元年四月癸丑朔条 

 

30 武社国造 

 

【所在】上総国武射郡(現在の千葉県山武市一帯)。

【氏姓】武射臣・牟邪臣と推定されている。

【系譜】志賀高穴穂朝御世(成務朝)に彦忍人命(和邇臣の祖である彦伊祁都命の孫)を国造に任命したとあり、孝昭天皇・和邇氏系に分類される。

 

(1)『続日本紀』神護景雲三年(七六九)三月辛巳条

 

31 菊麻国造 

 

【所在】上総国市原郡菊麻郷(現在の千葉県市原市一帯)。

【氏姓】谷臣・刑部臣などと推定されている。

【系譜】志賀高穴穂朝御世(成務朝)に大鹿直(无耶志国造の祖である兄多毛比命の子)を国造に任命したとあり、アメノホヒ・无邪志国造系に分類される。

 

32 阿波国造 

 

【所在】安房国安房郡(現在の千葉県館山市一帯)。

【氏姓】大伴直と推定されている。

【系譜】志賀高穴穂朝御世(成務朝)に大伴直大滝(天穂日命の八世孫である弥都侶岐の孫)を国造に任命したとあり、アメノホヒ・阿波国造系に分類される。

 

(1)『古語拾遺』

(2)『日本文徳天皇実録』嘉祥三年(八五〇)六月己酉条 

(3)『類聚三代格』弘仁五年(八一四)三月二十九日太政官符

 

33 印波国造 

 

【所在】下総国印旛郡印旛郷(現在の千葉県印西市・佐倉市・成田市一帯)。

【氏姓】丈部直・大生部直などと推定されている。

【系譜】軽嶋豊明朝御世(応神朝)に伊都許利命(神八井耳命の八世孫)を国造に任命したとあり、神武天皇・多氏系に分類される。

 

(1)平城京出土木簡(『平城宮発掘調査出土木簡概報』二四)

 

34 下海上国造 

 

【所在】下総国海上郡・香取郡(現在の千葉県銚子市・香取市一帯)。

【氏姓】海上国造他田日奉部直を称した。

【系譜】軽嶋豊明朝御世(応神朝)に久都伎直(上海上国造の祖の孫)を国造に任命したとあり、アメノホヒ・上海上国造系に分類される。

 

(1)『古事記』神代上 

(2)天平二十年(七四八)「他田日奉部直神護解」

(3)『続日本紀』延暦四年(七八五)正月癸亥条 

(4)『常陸国風土記』香島郡条

(5)『万葉集』二十―四三八四 

(6)『日本三代実録』仁和元年(八八五)閏三月甲辰条 

(7)『類聚三代格』弘仁五年(八一四)三月二十九日太政官符

 

35 新治国造 

 

【所在】常陸国新治郡新治郷(現在の茨城県笠間市・筑西市・桜川市一帯)。

【氏姓】新治直を称した。

【系譜】志賀高穴穂朝御世(成務)に比奈羅布命(美都呂岐命の子)を国造に任命したとあり、アメノホヒ・阿波国造系に分類される。

 

(1)『常陸国風土記』常陸国司解条 

(2)『常陸国風土記』新治郡条 

(3)『続日本紀』神護景雲元年(七六七)三月乙亥条

(4)『続日本紀』延暦九年(七九〇)十二月庚戌条

 

36 筑波国造 

 

【所在】常陸国筑波郡筑波郷を中心とする地域(現在の茨城県つくば市・つくばみらい市一帯)。

【氏姓】はじめ壬生連を称し、のち壬生宿禰に改姓した。

【系譜】志賀高穴穂朝御世(成務朝)に阿閇色命(忍凝見命の孫)を国造に任命したとある。

 

(1)『常陸国風土記』筑波郡条 

(2)『続日本紀』神護景雲二年(七六八)六月戊寅条 

 

37 茨城国造 

 

【所在】常陸国茨城郡茨城郷(現在の茨城県石岡市・笠間市一帯)。

【氏姓】壬生連を称した。

【系譜】軽嶋豊明朝御世(応神朝)に筑紫刀禰(天津彦根命の孫)を国造に任命したとあり、アマツヒコネ・茨城国造系に分類される。

 

(1)『古事記』神代上 

(2)『日本書紀』神代上 第七段一書第三

(3)『常陸国風土記』茨城郡条 

(4)『常陸国風土記』行方郡条 

(5)『類聚三代格』弘仁五年(八一四)三月二十九日太政官符

 

38 仲国造 

 

【所在】常陸国那珂郡那珂郷(現在の茨城県那珂湊市・勝田市一帯)。

【氏姓】壬生直・宇治部直を称した。

【系譜】志賀高穴穂朝御世(成務朝)に建借馬命(伊予国造と同祖)を国造に任命したとあり、神武天皇・多氏系に分類される。

 

(1)『古事記』神武段

(2)『常陸国風土記』行方郡条 

(3)『常陸国風土記』行方郡条 

(4)『常陸国風土記』香島郡条 

 

39 久自国造 

 

【所在】常陸国久慈郡(現在の茨城県常陸太田市一帯)。

【氏姓】不明。

【系譜】志賀高穴穂朝御世(成務朝)に船瀬足尼(物部連の祖である伊香色雄命の三世孫)を国造に任命したとあり、ニギハヤヒ・物部氏系に分類される。

 

40 高国造 

 

【所在】常陸国多珂郡多珂郷(現在の茨城県高萩市・北茨城市一帯)。

【氏姓】石城直を称した。

【系譜】志賀高穴穂朝御世(成務朝)に弥佐比命(弥都侶岐命の孫)を国造に任命したとあり、アメノホヒ・阿波国造系に分類される。

 

(1)『常陸国風土記』多珂郡条