※各史料の本文は『国造制の研究』参照。

 

四 東山道

 

41 淡海国造

 

【所在】近江国(現在の滋賀県)。

【氏姓】近江臣(淡海臣)・近淡海之安直・和邇部氏などと推定されている。

【系譜】志賀高穴穂朝御世(成務朝)に大陀牟夜別(彦坐王の三世孫)を国造に任命したとあり、開化天皇・和邇氏系に分類される。

【備考】「近淡海国造」とある史料も本条に含めた。近淡海之安国造と同一と見る説や、近淡海之安国造がのちに淡海国造の支配下に入ったとする説もある。

 

(1)『古事記』孝昭段 

(2)『古事記』孝元段

(3)『倭姫命世記』活目入彦五十狭茅天皇四年六月晦日条 

 

42 額田国造 

 

【所在】美濃国池田郡額田郷(現在の岐阜県池田町一帯)。

【氏姓】はじめ額田国造を称し、のち額田宿禰に改姓した。

【系譜】志賀高穴穂朝御世(成務朝)に大直侶宇命(和邇臣の祖である彦訓服命の孫)を国造に任命したとあり、孝昭天皇・和邇氏系に分類される。

 

(1)『類聚国史』巻九九 叙位 弘仁十三年(八二二)正月己亥条

(2)『政事要略』巻五十三 交替雑事(雑田)

(3)『令義解』付録 天長三年(八二六)十月五日勘文

(4)『和珥部氏系図』

 

43 三野前国造 

 

【所在】美濃国(現在の岐阜県)の西部。

【氏姓】国造・美濃直などと推定されている。

【系譜】春日率川朝御世(開化朝)に八爪命(皇子彦坐王の子)を国造に任命したとあり、開化天皇・和邇氏系に分類される。

【備考】「美濃国造」とある史料も本条に含めた。本巣国造と同一と見る説や、本巣国造がのちに三野前国造(美濃国造)の支配下に入ったとする説もある。

 

(1)『古事記』景行段  

(2)『日本書紀』景行四年二月是月条 

(3)『続日本紀』和銅元年(七〇八)三月庚申条

(4)『続日本紀』神護景雲二年(七六八)六月戊寅条 

(5)『続日本紀』神護景雲二年(七六八)閏六月庚戌条

(6)『続日本紀』宝亀元年(七七〇)四月癸巳条

(7)『倭姫命世記』活目入彦五十狭茅天皇十年八月一日条 

(8)大宝二年(七〇二)「御野国味蜂間郡春部里戸籍」(『大日本古文書』一―一)

(9)大宝二年(七〇二)「御野国肩県郡肩々里戸籍」(『大日本古文書』一―四〇)

(10)大宝二年(七〇二)「御野国各牟郡中里戸籍」(『大日本古文書』一―四四)

  

44 三野後国造 

 

【所在】美濃国(現在の岐阜県)の東部。

【氏姓】不明。

【系譜】志賀高穴穂朝御世(成務朝)に臣賀夫良命(物部連の祖である出雲大日命の孫)を国造に任命したとあり、ニギハヤヒ・物部氏系に分類される。

【備考】牟義都国造と同一と見る説もある。

 

45 斐陀国造 

 

【所在】飛彈国(現在の岐阜県北部)。

【氏姓】飛彈国造を称した。

【系譜】志賀高穴穂朝御世(成務朝)に大八椅命(尾張連の祖である瀛津世襲命大八椅)を国造に任命したとあり、アメノホアカリ・尾張国造系に分類される。

 

(1)『先代旧事本紀』巻五「天孫本紀」

(2)『続日本紀』天平勝宝元年(七四九)閏五月癸丑条 

(3)天平勝宝二年(七五〇)三月三日「治部省牒」 ※同日付の文書二通あり。

(4)天平勝宝二年(七五〇)五月十一日「治部省牒」

(5)天平勝宝二年(七五〇)十二月二十八日「治部省牒」

(6)天平勝宝三年(七五一)二月八日「治部省牒案」

(7)『続日本紀』延暦二年(七八三)十二月甲辰条 

(8)『日本後紀』大同三年(八〇八)四月庚午条 

(9)『日本後紀』大同三年(八〇八)九月甲申条 

 

46 上毛野国造

 

【所在】上野国(現在の群馬県)。

【氏姓】はじめ上毛野君を称し、のち朝臣に改姓した。

【系譜】瑞籠朝御世(崇神朝)に彦狭嶋命(豊城入彦命の孫)を国造に任命したとあり、崇神天皇・上毛野国造系に分類される。

 

(1)『古事記』崇神段

(2)『日本書紀』崇神四十八年四月丙寅条

(3)『日本書紀』垂仁五年十月己卯朔条

(4)『日本書紀』応神十五年八月丁卯条

(5)『日本書紀』仁徳五十三年五月条

(6)『日本書紀』安閑元年(五三四)閏十二月是月条 

(7)『日本書紀』天武十三年(六八四)十一月戊申朔条

(8)『続日本紀』神護景雲二年(七六八)六月戊寅条 

(9)『新撰姓氏録』左京皇別下

(10)『新撰姓氏録』左京皇別下

 

47 下毛野国造 

 

【所在】下野国(現在の栃木県)の南部。

【氏姓】はじめ下毛野君を称し、のち朝臣に改姓した。

【系譜】難波高津朝御世(仁徳朝)に奈良別(豊城命の四世孫)を国造に任命したとあり、崇神天皇・上毛野国造系に分類される。

 

(1)『古事記』崇神段

(2)『日本書紀』崇神四十八年四月丙寅条

(3)『日本書紀』天武十三年(六八四)十一月戊申条

(4)『新撰姓氏録』左京皇別下

(5)『新撰姓氏録』左京皇別下

 

48 道奥菊多国造 

 

【所在】陸奥国菊多郡(現在の福島県いわき市一帯)。

【氏姓】不明。

【系譜】軽嶋豊明朝御世(応神朝)に屋主乃祢(建許呂命の子)を国造に任命したとあり、アマツヒコネ・茨城国造系に分類される。

 

49 道口岐閇国造 

 

【所在】常陸国多珂郡道口郷を中心とする地域(現在の茨城県高萩市・北茨城市一帯)。

【氏姓】不明。

【系譜】軽嶋豊明朝御世(応神朝)に宇佐比乃祢(建許呂命の子)を国造に任命したとあり、アマツヒコネ・茨城国造系に分類される。

 

(1)『古事記』神代上 

 

50 阿尺国造 

 

【所在】陸奥国安積郡安積郷を中心とする地域(現在の福島県郡山市一帯)。

【氏姓】はじめ丈部直を称し、のち安積臣に改姓した。

【系譜】志賀高穴穂朝御世(成務朝)に比止祢命(天湯津彦命の十世孫)を国造に任命したとあり、アメノユツヒコ・阿岐国造系に分類される。

 

(1)『続日本紀』神護景雲三年(七六九)三月辛巳条

 

51 思国造 

 

【所在】陸奥国志太郡志太郷を中心とする地域(現在の宮城県大崎市一帯)。

【氏姓】不明。

【系譜】志賀高穴穂朝御世(成務朝)に志久麻彦を国造に任命したとあり、アメノユツヒコ・阿岐国造系に分類される。

 

52 伊久国造 

 

【所在】陸奥国伊具郡(現在の宮城県角田市・丸森町一帯)。

【氏姓】不明。

【系譜】志賀高穴穂朝御世(成務朝)に豊嶋命を国造に任命したとあり、アメノユツヒコ・阿岐国造系に分類される。

 

53 染羽国造 

 

【所在】陸奥国標葉郡標葉郷を中心とする地域(現在の福島県双葉郡一帯)。

【氏姓】丈部(のち阿倍陸奥臣)と推定されている。

【系譜】志賀高穴穂朝御世(成務朝)に足彦命を国造に任命したとあり、アメノユツヒコ・阿岐国造系に分類される。

 

(1)『続日本紀』神護景雲三年(七六九)三月辛巳条

 

54 浮田国造 

 

【所在】陸奥国宇多郡(現在の福島県相馬市一帯)。

【氏姓】吉弥侯部(のち上毛野陸奥公)と推定されている。

【系譜】志賀高穴穂朝御世(成務朝)に賀我別王を国造に任命したとあり、崇神天皇・上毛野国造系に分類される。

 

(1)『続日本紀』神護景雲三年(七六九)三月辛巳条

 

55 信夫国造 

 

【所在】陸奥国信夫郡(現在の福島県福島市・伊達市一帯)。

【氏姓】丈部(のち阿倍信夫臣)・吉弥侯部(のち上毛野鍬山公・下毛野靜戸公)などと推定されている。

【系譜】志賀高穴穂朝御世(成務朝)に久麻直(久志伊麻命の孫)を国造に任命したとあり、アメノユツヒコ・阿岐国造系に分類される。

 

(1)『続日本紀』神護景雲三年(七六九)三月辛巳条

 

56 白河国造 

 

【所在】陸奥国白河郡白河郷を中心とする地域(現在の福島県白河市一帯)。

【氏姓】奈須直・大伴部・丈部(のち阿倍陸奥臣)などと推定されている。

【系譜】志賀高穴穂朝御世(成務朝)に塩伊乃己自直(天由都彦命の十一世孫)を国造に任命したとあり、アメノユツヒコ・阿岐国造系に分類される。

 

(1)『続日本紀』神護景雲三年(七六九)三月辛巳条

 

57 石背国造 

 

【所在】陸奥国磐瀬郡(現在の福島県須賀川市一帯)。

【氏姓】吉弥侯部(のち磐瀬朝臣)と推定されている。

【系譜】志賀高穴穂朝御世(成務朝)に建弥依米命(建許侶命の子)を国造に任命したとあり、アマツヒコネ・茨城国造系に分類される。

 

(1)『続日本紀』神護景雲三年(七六九)三月辛巳条

(2)『日本三代実録』貞観五年(八六三)十二月十六日甲戌条

 

58 石城国造 

 

【所在】陸奥国石城郡石城郷を中心とする地域(現在の福島県いわき市一帯)。

【氏姓】石城直、丈部(のち於保磐城臣)などと推定されている。

【系譜】志賀高穴穂朝御世(成務朝)に建許呂命を国造に任命したとあり、アマツヒコネ・茨城国造系に分類される。

 

(1)『古事記』神武段

(2)『続日本紀』神護景雲三年(七六九)三月辛巳条

(3)『常陸国風土記』多珂郡条 

(4)『陸奥国風土記』逸文(『大善院旧記』)

 

59 那須国造 

 

【所在】下野国那須郡(現在の栃木県大田原市・那須塩原市一帯)。

【氏姓】那須直を称した。

【系譜】纏向日代朝御世(景行朝)に大臣命(建沼河命の孫)を国造に任命したとあり、孝元天皇・阿部氏系に分類される。

【【備考】笠石神社(栃木県大田原市)には『那須国造碑』が祀られている。

 

(1)『那須国造碑』

 

60 科野国造 

 

【所在】信濃国(現在の長野県)。

【氏姓】科野直・他田舎人・金刺舎人などと推定されている。

【系譜】瑞籠朝御世(崇神朝)に建五百建命(神八井耳命の孫)を国造に任命したとあり、神武天皇・多氏系に分類される。

 

(1)『古事記』神武段

(2)『万葉集』二十―四四〇一 

 

61 出羽国司 

 

※「国造本紀」は、出羽国(現在の山形県・秋田県)の設置記事となっている。

 

(1)『続日本紀』和銅五年(七一二)九月己丑条

(2)『続日本紀』和銅五年(七一二)十月丁酉条