八 南海道

 

104 紀伊国造 

 

【所在】紀伊国名草郡(現在の和歌山県和歌山市・海南市一帯)。

【氏姓】はじめ紀直を称し、のち宿禰・朝臣に改姓した。

【系譜】橿原朝御世(神武朝)に天道根命(神皇産霊命の五世孫)を国造に任命したとあり、カミムスヒ・紀伊国造系に分類される。

 

(1)『古事記』孝元段

 比古布都押之信命。娶尾張連等之祖。意富那毘之妹。葛城之高千那毘売。〈那毘二字以音。〉生子。味師内宿禰。〈此者山代内臣之祖也。〉又娶木国造之祖。宇豆比古之妹。山下影日売。生子。建内宿禰。

 

(2)『古事記』崇神段

 御真木入日子印恵命。坐師木水垣宮。治天下也。此天皇。娶木国造名荒河刀弁之女。刀弁二字以音。遠津年魚目目微比売。生御子。豊木入日子命。

 

(3)『日本書紀』崇神元年二月辛亥条

 又妃紀伊国荒河戸畔女遠津年魚眼眼妙媛。〈一云。大海宿禰女八坂振天某邊。〉生豊城入彦命。豊鍬入姫命。

 

(4)『日本書紀』敏達十二年(五八三)七月丁酉朔条

 詔曰。属我先考天皇之世。新羅滅内官家之国。〈天国排開広庭天皇廿三年任那為新羅所滅。故云新羅滅我内官家也。〉先考天皇謀復任那。不果而崩。不成其志。是以朕当奉助神謀復中興任那。今在百済火葦北国造阿利斯登子。達率日羅賢而有勇。故朕欲与其人相計。乃遣紀国造押勝与吉備海部直羽嶋喚於百済。

 

(5)『日本書紀』敏達十二年(五八三)十月条

 紀国造押勝等還自百済。復命於朝曰。百済国主奉惜日羅不肯聴上。

 

(6)『続日本紀』神亀元年(七二四)十月壬寅条

 賜造離宮司及紀伊国国郡司。并行宮側近高年七十已上禄。各有差。百姓今年調庸。名草海部二郡田租咸免之。又赦罪人死罪已下。名草郡大領外従八位上紀直摩祖為国造。進位三階。少領正八位下大伴櫟津連子人。海部直土形二階。自余五十二人各位一階。

 

(7)『続日本紀』天平元年(七二九)三月丁巳条

 以正八位上紀直豊嶋為紀伊国造。

 

(8)『続日本紀』天平神護元年(七六五)十月庚辰条

 詔曰。紀伊国今年調庸。皆従原免。其名草。海部二郡者。調庸田租並免。又行宮側近高年七十以上者賜物。犯死罪以下皆赦除。但十悪及盜人不在赦限。又国司。国造。郡領及供奉人等。賜爵并物有差。授守従五位上小野朝臣小贄正五位下。掾正六位上佐伯宿禰国守。散位正六位上大伴宿禰人成並従五位下。騎兵出雲大目正六位上坂上忌寸子老外従五位下。名草郡大領正七位上紀直国栖等五人。賜爵人四級。自余五十三人各有差。叙牟婁采女正五位上熊野直広浜従四位下。女嬬酒部公家刀自等五人各有差。

 

(9)『続日本紀』延暦九年(七九〇)五月癸酉条

 以外従八位上紀直五百友為紀伊国造。

 

(10)『日本後紀』延暦二十三年(八〇四)十月癸丑条

 上御船遊覽。賀楽内親王。及参議従三位紀朝臣勝長。国造紀直豊成等奉献。詔曰。天皇詔旨良万止勅命乎。紀伊国司郡司公民陪従司々人等諸聞食止宣。此月波閑時爾之弖。国風御覧須時止奈毛。常母聞所行須。今御坐所乎御覧爾。礒嶋毛奇麗久。海瀲毛清晏爾之弖。御意母於多比爾御坐坐。故是以御坐坐世留名草海部二郡乃百姓爾。今年田租免賜比。又国司国造二郡司良爾。冠位上賜比治賜布。目已下及郡司乃正六位上乃人爾波。男一人爾位一階賜布。又御座所爾近岐高年八十已上人等爾。大物賜波久止詔布勅命乎。衆聞食止宣。

 

(11)『続日本後紀』嘉祥二年(八四九)閏十二月庚午条

 先是紀伊守従五位下伴宿禰竜男。与国造紀宿禰高継不愜。於是不忍怒意。輙発兵捕高継并党与人等。仍可勘申状。官符下知已畢。而今日掾林朝臣並人馳来申云。守竜男分遣従僕。各帯兵仗。暗中放鏑。威脅衆庶。或被執囹圄。日夜叫呼。或東西奔走。中途流離。並人諌曰。百姓有犯過者。雖云長官。須委之傍吏。任理勘決。而躬捕前人。事乖物情。竜男固拒不聴。仍脱身入京者。又竜男所進之国符称。国造紀宿禰高継犯罪之替。擬捕紀宿禰福雄者。勅。国造者。非国司解却之色。而輙解却之。推量意况。稍渉不臣。宜停釐務。任法勘奏。

 

(12)『先代旧事本紀』巻五「天孫本紀」

 五世孫建筒草命〈建額赤命之子。多治比連。津守連。若倭部連。葛木厨直祖。〉孫建斗米命。天戸目命之子。此命。紀伊国造智名曽妹中名草姫為妻。生六男一女。

 

(13)『釈日本紀』巻七 述義三 神代上 紀伊国所坐日前神段

 大同元年太神宮本紀曰。御間城入彦五十瓊殖天皇。于時天照大神乞給国伊豆久曽止。随大神教命求坐奉止。詔。皇子豊次比売命奉載而。従倭内国始而覔給云々。従此幸行而。木乃国奈久佐浜宮三年斎奉。其時紀国造進地口御田。

 

(14)『貞観儀式』巻十 太政官曹司庁任紀伊国造儀

 大臣宣参来。丞称唯而上至大臣座前。大臣賜国造名簿。丞受退出。訖輔丞録各一人入就座。訖国守入就版。次省掌引任人参入。〈任人就版省掌差南去立。〉訖弁大夫已下部録已上。皆起自座立于庭中。〈弁大夫東面。式部輔西面。丞録北面。〉参議已上在座不下。于時弁大夫一人進就版宣制曰。官姓名乎紀伊国造任賜〈波久止〉宣。国造称唯。再拝両段。拍手。四段宣命者復本列。訖任人退出。弁大夫并式部録已上就本座。訖更立退出。

 

(15)『類聚三代格』弘仁五年(八一四)三月二十九日太政官符

 太政官符

 

応聴以同姓人補中主政主帳事

 

右検天平七年五月廿一日格称。終身之任理可代遍。宜一郡不得并用同姓。如於他姓中无人可用者。僅得用於少領已上。以外悉停任。但神郡国造。陸奥之近夷郡。多褹嶋郡等。聴依先例者。今被右大臣宣称。奉勅。一郡之人同姓尤多。或身有労効。或才堪時務。而被拘格旨不蒙選擢。人之為憂莫甚於此。宜改斯例依件令補。不得因此任譜第人。自今以後永為恒例。

 

弘仁五年三月廿九日

 

(16)『類聚三代格』寛平六年(八九四)六月一日太政官符

 太政官符

 

  応同率神戸官戸課丁事

 

 右得紀伊国解称。検案内。官戸課丁少数常煩所司勘出。尋彼由緒。官戸悉為神戸百姓之所致也。何者此国有封神社総十一処。所充封戸二百卅二烟。可有正丁千二百七十六人。此則依式毎戸以五六人所率之数也。而今神戸所領正丁之数。或戸十五六人。或戸二三十人。官戸所有課丁之数。或戸僅一二人。或戸曽無課丁。詳検其由。神戸課役頗軽。官戸輸貢尤重。因斯脱彼重課入此軽役。謹案式云。戸以正丁五六人為一戸。其神寺封丁。若有増益者随即減之。死損者不須更加。而国造并禰宜祝等。寄事神祇曽無改正。積慣之漸忽然難変。望請。不論神戸官戸。総計国内課丁。毎戸同率貫附。弁定之後。若有輙改替者。尋其所由。依法科罪。謹請官裁者。右大臣宣。依請。

 

   寛平六年六月一日

 

(17)『類聚符宣抄』天暦七年(九五三)十二月二十八日太政官符

 太政官符式部省

 

  正六位上紀宿禰奉世

 

 右中納言従三位兼行民部卿藤原朝臣在衡宣。奉勅。件人宜補紀伊国国造外従五位下紀宿禰有守依病辞退之替者。省宜承知依

 

宣行之。符到奉行。

 

 位右少弁                     左大史位

 

   天暦七年十二月廿八日

 

(18)『丹生祝氏本系帳』

 美麻貴天皇御世。天道根命裔紀伊国造宇遅比古命。国主御神其子座之大阿牟太首並二柱進物。紀伊国黒犬一伴。阿波遅国三原郡白犬一伴。

 

(19)『紀氏家牒』

 紀武内宿禰者。人皇弟八代孝元天皇曽孫屋主忍男武雄心命之嫡男。母曰山下影媛。紀伊国造菟道彦之女。故名曰紀武内宿禰。

 

(20)『紀氏家牒』

 武内宿禰次娶紀伊国造宇豆彦〈菟道彦男也。〉女宇乃媛。生角宿禰。

 

(21)『紀伊国造次第』

 日前国懸両太神宮。天降坐之時。天道根為従臣仕始。即厳奉崇之。仍賜国造任焉。

 

今貞観十六年〈以甲午歳〉依本書已損改写書。国造正六位上広世直。

 

(略)

 

第十七 忍勝。〈麻佐手男。〉日本記第廿四敏達天皇十二年秋七月。遣紀国造押勝於百済之由載之。

 

(略)

 

第卅六 広世。〈宗守男。宗守者国井六世孫。〉 

 

(22)『倭姫命世記』御間城入彦五十瓊殖天皇五十一年甲戌四月八日条

 遷于木乃国奈久佐浜宮。積三年之間奉斎。于時紀伊国造。進舎人紀麻呂。良地口御田。

 

   

105 熊野国造 

 

【所在】紀伊国牟婁郡(現在の和歌山県南部・三重県熊野市一帯)。

【氏姓】熊野直・熊野連などと推定されている。

【系譜】志賀高穴穂朝御世(成務朝)に大阿斗足尼(饒速日命の五世孫)を国造に任命したとあり、ニギハヤヒ・物部氏系に分類される。

 

(1)『続日本紀』天平十七年(七四五)正月乙丑条

(2)『新撰姓氏録』山城国神別

 

106 淡道国造 

 

【所在】淡路国(現在の兵庫県南あわじ市・洲本市・淡路市)。

【氏姓】凡直と推定されている。

【系譜】難波高津朝御世(仁徳朝)に矢口足尼(神皇産霊尊の九世孫)を国造に任命したとあり、カミムスヒ・紀伊国造系に分類される。

 

107 粟国造 

 

【所在】阿波国阿波郡(現在の徳島県徳島市・阿波市一帯)。

【氏姓】粟凡直を称した。

【系譜】軽嶋豊明朝御世(応神朝)に千波足尼(高皇産霊尊の九世孫)を国造に任命したとあり、タカミムスヒ・葛城国造系に分類される。

【備考】中王子神社(徳島県名西郡石井町)には『阿波国造碑』が伝えられている。

 

(1)『続日本紀』天平十七年(七四五)正月乙丑条

(2)『続日本紀』神護景雲元年(七六七)三月乙丑条

(3)『続日本紀』延暦二年(七八三)十二月甲辰条 

(4)阿波国造碑

 

108 長国造 

 

【所在】阿波国那賀郡(現在の徳島県阿南市・那賀町一帯)。

【氏姓】長直を称した。

【系譜】志賀高穴穂朝御世(成務朝)に韓背足尼(観松彦色止命の九世孫)を国造に任命したとあり、ミマツヒコイロド系に分類される。

 

(1)『続日本紀』宝亀四年(七七三)五月辛巳条

 

109 讃岐国造 

 

【所在】讃岐国寒川郡・多度郡(現在の香川県さぬき市一帯、善通寺市・多度津町一帯)。

【氏姓】星直(のち紗抜大押直・讃岐直・凡直・讃岐公)・佐伯直などと推定されている。

【系譜】軽嶋豊明朝御世(応神朝)に須売保礼命(景行帝の子である神櫛王の三世孫)を国造に任命したとあり、景行天皇系に分類される。

 

(1)『日本書紀』景行四年二月甲子条 

(2)『日本書紀』履中六年二月癸丑朔条 

(3)『続日本紀』延暦十年(七九一)九月丙子条 

(4)『日本三代実録』貞観三年(八六一)十一月辛巳条 

(5)『新撰姓氏録』右京皇別

(6)『先代旧事本紀』巻七「天皇本紀」景行天皇条 

(7)『先代旧事本紀』巻七「天皇本紀」景行天皇条 

 

110 伊余国造 

 

【所在】伊予国伊予郡(現在の愛媛県伊予市一帯)。

【氏姓】凡直と推定されている。

【系譜】志賀高穴穂朝御世(成務朝)に速後上命(敷桁波命の子)を国造に任命したとあり、神武天皇・多氏系に分類される。

 

(1)『古事記』神武段

 

111 久味国造 

 

【所在】伊予国久米郡(現在の愛媛県松山市一帯)。

【氏姓】久米直と推定されている。

【系譜】軽嶋豊明朝御世(応神朝)に伊与主命(神魂尊の十三世孫)を国造に任命したとあり、カミムスヒ・紀伊国造系に分類される。

 

(1)『新撰姓氏録』右京神別

 

112 小市国造 

 

【所在】伊予国越智郡(現在の愛媛県今治市一帯)。

【氏姓】越智直と推定されている。

【系譜】軽嶋豊明朝御世(応神朝)に子到命(大新川命の孫)を国造に任命したとあり、ニギハヤヒ・物部氏系に分類される。

 

113 怒麻国造 

 

【所在】伊予国野間郡(現在の愛媛県今治市一帯)。

【氏姓】不明。

【系譜】神功皇后之御世(神功皇后朝)に若弥尾命(飽速玉命の三世孫)を国造に任命したとあり、アメノユツヒコ・阿岐国造系に分類される。

 

114 風速国造 

 

【所在】伊予国風早郡(現在の愛媛県松山市一帯)。

【氏姓】風早直と推定されている。

【系譜】軽嶋豊明朝御世(応神朝)に阿佐利(物部連の祖である伊香色男命の四世孫)を国造に任命したとあり、ニギハヤヒ・物部氏系に分類される。

 

115 都佐国造 

 

【所在】土佐国土佐郡土佐郷を中心とする地域(現在の高知県高知市・土佐町一帯)。

【氏姓】凡直と推定されている。

【系譜】志賀高穴穂朝御世(成務朝)に小立足尼(三嶋溝杭命の九世孫)を国造に任命したとある。

 

116 波多国造 

 

【所在】土佐国幡多郡(現在の高知県土佐清水市・四万十市・宿毛市一帯)。

【氏姓】不明。

【系譜】瑞籠朝御世(崇神朝)に天韓襲命を国造に任命したとある。