※各史料の本文は『国造制の研究』参照。
五 北陸道
62 若狭国造
【所在】若狭国遠敷郡(現在の福井県小浜市一帯)。
【氏姓】膳臣・稚桜部臣と推定されている。
【系譜】遠飛鳥朝御世(允恭朝)に荒礪命(膳臣の祖である佐白米命の児)を国造に任命したとあり、孝元天皇・阿部氏系に分類される。
(1)『日本書紀』履中三年十一月辛未条
(2)『日本書紀』履中三年十一月辛未是日条
(3)『日本書紀』天武十三年(六八四)十一月戊申条
(4)『高橋氏文』(『政治要略』巻二十六 年中行事十一月 二〈新嘗祭〉)
(5)『新撰姓氏録』左京皇別
63 高志国造
【所在】越前国丹生郡(現在の福井県中西部)あるいは越後国古志郡(新潟県長岡市一帯)。
【氏姓】高志公・道君・阿閇臣・佐味君などと推定されている。
【系譜】志賀高穴穂朝御世(成務朝)に市入命(阿閇臣の祖である屋主田心命の三世孫)を国造に任命したとあり、孝元天皇・阿部氏系に分類される。
(1)『日本書紀』孝元七年二月丁卯条
(2)『続日本紀』和銅元年(七〇八)三月丙午条
(3)天平三年(七三一)「越前国正税帳」
(4)天平五年(七三三)「越前国郡稲帳」
(5)宝亀十一年(七八〇)十二月二十五日「西大寺資財流記帳」(寧楽遺文)
64 三国国造
【所在】越前国坂井郡(現在の福井県坂井市一帯)。
【氏姓】三国公・道公などと推定されている。
【系譜】志賀高穴穂朝御世(成務朝)に若長足尼(宗我臣の祖である彦太忍信命の四世孫)を国造に任命したとあり、孝元天皇・蘇我氏系に分類される。
(1)『日本書紀』継体元年(五〇七)三月癸酉条
(2)『先代旧事本紀』巻八「神皇本紀」応神天皇条
(3)『日本書紀』天武十三年(六八四)十月己卯是日条
(4)天平三年(七三一)「越前国正税帳」(『大日本古文書』一―四二八)
(5)宝亀十一年(七八〇)四月三日「越前国坂井郡司解」(『大日本古文書』六―六〇三)
(6)『新撰姓氏録』左京皇別
(7)『新撰姓氏録』右京皇別
(8)『新撰姓氏録』山城国皇別
(9)『越中石黒系図』
65 角鹿国造
【所在】越前国敦賀郡(現在の越前国敦賀郡一帯)。
【氏姓】敦賀直・敦賀海直などと推定されている。
【系譜】志賀高穴穂朝御世(成務朝)に建功狭日命(吉備臣の祖である若武彦命の孫)を国造に任命したとあり、孝霊天皇・吉備氏系に分類される。
(1)『古事記』孝霊段
(2)天平三年(七三一)「越前国正税帳」(『大日本古文書』一―四二八)
(3)天平五年(七三三)閏三月六日「越前国郡稲帳」(『大日本古文書』一―四六一)
(4)『類聚国史』巻四十 采女・巻七八 賞賜・巻八三 正税 天長五年(八二八)閏三月庚子条
(5)『日本三代実録』貞観九年(八六七)三月十日庚戌条
66 加我国造
【所在】加賀国加賀郡(現在の石川県河北郡一帯)。
【氏姓】道君と推定されている。
【系譜】泊瀬朝倉朝御世(雄略朝)に大兄彦君(三尾君の祖である石撞別命の四世孫)を国造に任命したとあり、垂仁天皇系に分類される。
【備考】加宜国造と同一(重複掲載)と見る説もある。史料は加宜国造の後に一括掲載した。
67 加宜国造
【所在】加賀国加賀郡(現在の石川県河北郡一帯)。
【氏姓】道君と推定されている。
【系譜】難波高津朝御世(仁徳朝)に素都乃奈美留命(能登国造と同祖)を国造に任命したとあり、垂仁天皇系に分類される。
【備考】加我国造と同一(重複掲載)と見る説もある。
(1)天平三年(七三一)「越前国正税帳」
(2)『続日本紀』天平宝字五年(761)二月戊午条
(3)『日本紀略』弘仁十四年(八二三)三月丙辰条
68 江沼国造
【所在】加賀国江沼郷(現在の石川県加賀市一帯)。
【氏姓】江沼臣と推定されている。
【系譜】柴垣朝御世(反正朝)に志波勝足尼(武内宿禰の四世孫)を国造に任命したとあり、孝元天皇・蘇我氏系に分類される。
(1)『新撰姓氏録』大和国皇別
(2)『越中石黒系図』
69 能等国造
【所在】能登国能登郡(現在の石川県七尾市一帯)。
【氏姓】能登臣と推定されている。
【系譜】志賀高穴穂朝御世(成務朝)に彦狭嶋命(垂仁天皇の子である大入来命の孫)を国造に任命したとあり、垂仁天皇系に分類される。
(1)『古事記』崇神段
(2)『日本書紀』斉明六年(六六〇)三月条
(3)『続日本紀』養老二年(七一八)五月乙未条
(4)『続日本紀』天平十三年(七四一)十二月丙戌条
(5)『続日本紀』天平宝字元年(七五七)五月乙卯条
70 羽咋国造
【所在】能登国羽咋郡羽咋郷(現在の石川県羽咋市一帯)。
【氏姓】羽咋君・羽咋公と推定されている。
【系譜】泊瀬朝倉朝御世(雄略朝)に石城別王(三尾君の祖である石撞別命の子)を国造に任命したとあり、垂仁天皇系に分類される。
(1)『古事記』垂仁段
(2)『新撰姓氏録』右京皇別
71 伊弥頭国造
【所在】越中国射水郡(現在の富山県射水市・高岡市・氷見市一帯)。
【氏姓】射水臣・伊弥頭臣と推定されている。
【系譜】志賀高穴穂朝御世(成務朝)に大河音足尼(建内足尼の孫)を国造に任命したとあり、孝元天皇・蘇我氏系に分類される。
(1)『日本三代実録』仁和二年(八八六)十二月十八日壬戌条
(2)『越中石黒系図』
72 久比岐国造
【所在】越後国頸城郡(現在の新潟県糸魚川市・上越市・妙高市一帯)。
【氏姓】高志公と推定されている。
【系譜】瑞籠朝御世(崇神朝)に御戈命(大和直と同祖)を国造に任命したとあり、シヒネツヒコ・大倭国造系に分類される。
(1)宝亀十一年(七八〇)十二月二十五日「西大寺資財流記帳」(寧楽遺文)
73 高志深江国造
【所在】越後国(現在の新潟県)。
【氏姓】不明。
【系譜】瑞籠朝御世(崇神朝)に素都乃奈美留命(道君と同祖)を国造に任命したとあり、垂仁天皇系に分類される。
74 佐渡国造
【所在】佐渡国(現在の新潟県佐渡市)。
【氏姓】不明。
【系譜】志賀高穴穂朝御世(成務朝)に大荒木直(久志伊麻命の四世孫)を国造に任命したとあり、アメノユツヒコ・阿岐国造系に分類される。
(1)『新撰姓氏録』右京神別